昔、親にこんなことを言われたことはありませんか?もしくは、ドラマやアニメでこんなシーンを観たことはありませんか?
「親は仕事をしているから、勉強はしなくていいの。子どもの仕事が勉強。」
「お父さんとお母さんはもう学校は卒業してるから。」
「学校行かなくてよくて、勉強しなくていいの羨ましいな。」なんてちょっと思っていましたが、今思うと、子育てをする上で、学ぶことをやめてしまった親は子どもに対してあまりいい影響は与えないなぁと思います。
『ワンピース』の空島編で描かれた「嘘つきノーランド」の話を覚えていますか?
偉大な探検家であるモンブラン・ノーランドと、部族長ガルガラの物語は、ただの冒険譚ではありません。物語は私たちに問いかけています。**「固定観念や無知が生む悲劇」をどのいように克服するべきか?**と。
「世間体」の恐ろしさ:ノーランドとガルガラのすれ違い
ガルガラの部族では、病気が蔓延したとき、神々を鎮めるために人々を生贄として捧げる風習がありました。実の娘を捧げようとしたガルガラに対し、ノーランドは「それは無意味だ」と声を荒げます。生贄を捧げることに何も思わないのかと追求するノーランドに「生贄が俺の娘でもか?」と逆質問し、部族のリーダーの責任として自らの気持ちを押し殺していたことが表現されます。娘もまたそんな運命を受け入れようとしています。
自分の「正しさ」をコミュニケーションが不足しているなか押し付けるリスク
結果的にガルガラは神と崇められていた蛇を殺し、生贄ではなく病気の原因となる疫病を取り除けるというノーランドの言葉を信じ、部族を救いました。
一見、ノーランドの正義が光る場面ですが、物語の後半ではその「正しさ」が悲劇を生むことが描かれます。病気は人間だけでなく木にも感染していたのです。それを見つけたノーランドは全て切り倒してしまいます。この木はガルガラ達にとって先祖が宿る神聖なものでした。科学という正しさによって自分達の村が大切にしていた物を何の説明もなく奪われた事に激昂したガルガラは、ノーランドが村を離れるまで言葉を交わすことなく2人が顔を合わせてることは二度とかなわなくなりました。
異なる価値観・異なる文化に科学という正しさで突然メスを入れるリスクを暗示しているようにも思います。これはコミュニケーションの問題です。親子や親しい間柄でも、自分が信じる正しさを気付かぬうちに相手の納得なく押し付けているかもしれません。ガルガラとノーランドも、もっときちんと説明しコミュニケーションができていたら違う別れもあったでしょうか?
彼はその後、嘘つき呼ばわりされ、処刑されるのです。
エンタメに学ぶ
この物語を見ていると、ガルガラの「縛られた考え方」と、「先日達の知恵に学ばず、自己流を続ける体制」、ノーランドの「正しさ」をコミュニケーションなく実行したことなどの問題点に気がつきます。
重要なのは、過去に学びつつ、多角的な視点で未来を見据えて行動することです。そして、この視点は親としての学びにもつながります。
戦争の時代:祖母の記憶を通して
私の祖母は、戦時中に兄4人を戦争で失ったと語っていました。
「赤紙が届いたときには『おめでとう』と言わなければならなかった」
そう話す祖母の言葉には、当時の「世間体」や「国への従属」という重圧が刻まれています。
その時代では「子どもを送り出すこと」が親としての美徳とされていました。しかし、その価値観がどれほど多くの悲劇を生んだのかは、歴史が証明しています。ガルガラが娘を生贄にせざるおえない選択しか考えられなかったことと同じような状況ではないでしょうか。
現代の親が学ぶべきこと:育児もまた「学び」から始まる
『ワンピース』のノーランドの物語や戦争の記憶は、私たちに「学ぶことの重要性」を教えてくれます。
親になると、育児のほとんどが自己流になりがちです。学校では育児を教えてくれないし、子どもとどう接するべきか、どう導くべきかを学ぶ機会は少ない。
でも、だからこそ「学ぶことを怠らない親」でありたいと私は思います。
1. エンタメから学ぶ視点を持つ
マンガやアニメ、小説は、私たちに問題提起をしてくれるものが多いです。
例えば:
• 『ワンピース』のように価値観の衝突から「違いを理解する力」を学ぶ。
• 『鬼滅の刃』から家族の絆や他者を思いやる大切さを再確認する。
これらは決して「娯楽」にとどまらず、現実の子育てにも応用できるヒントが詰まっています。
2. 過去の教訓に学ぶ
歴史的な出来事を振り返り、過去の研究を学び、何が好ましくなくて、何が好ましく結果を生んだのかを知ることが、未来の育児や教育の基盤を作ります。
• 「戦時中のプロパガンダ教育の恐ろしさ」から、「固定観念を押し付ける怖さ」を学ぶ。
• 研究者が積み上げた知見を学ぶ姿勢を、子どもにも伝える。
3. クリティカルに考える力を持つ
エンタメや歴史から得た知識を、そのまま受け入れるのではなく、自分の視点で考え、応用する力が必要です。自分なりの答えは、子どもに対する接し方や教育方針にも反映させることができるでしょう。
最後に:親であることを楽しむために学ぶ
親になると、どうしても「教える側」に立ちがちです。でも本当は、親こそが「学ぶ側」である必要はないでしょうか。
『ワンピース』のノーランドが部族を救おうとしたように、私たちも正しい方法で子どもを守る知識を学ばねばなりません。
その一方で、彼が失敗したように、相手の価値観や感情に寄り添うことも忘れてはいけません。
歴史や物語から学ぶことで、私たちはより良い親になれる。
それは単に子どものためだけではなく、親としての人生をもっと楽しむためでもあるのです。
さあ、今日から一緒に「学ぶ親」を目指してみませんか?
沢山のクリエイターが生み出した作品、沢山の研究者が解き明かした研究結果に世界は満ちていて。現在も作られ続けています。
私たちは思考し学ぶことができるのです。
親が楽しく学んでいる姿を見て、子ども達も学ぶことの面白さを知っていくのではないでしょうか。