「子どもをコントロールしない育児」――その理想は、多くの親にとって一つの目標として掲げられることが増えてきました。
アドラー心理学に基づく子育て本や、「子どもをコントロールしないことで親子関係が良くなる」という考え方が注目され、真面目な親ほどその実践に挑み悩んでいるように思います。「アドラー心理学・育児・無理」、「アドラー心理学・育児・実践法」というアドラー心理学の関連ワードで記事を探すとその育児の方針に思い悩んでいる多くのまじめな親たちの存在が見つかります。
「子どもをコントロールしない育児」は確かに理想的ですが、しかし、実際の育児は「理想」だけでは語れない「現実」の連続です。
特に、言葉がまだ未発達で、危険への理解も十分でない子どもを育てる親にとって、コントロールしない育児は驚くほど難易度が高く、時に親自身を追い詰めてしまうこともあります。
本記事では、自身の経験をもとに、「子どもをコントロールしない育児」の現実的な課題と、その対処法について考えていきたいと思います。
コントロールしない育児の壁:未発達な子どものコミュニケーション能力
子どもは大人と違い、自分の欲求をうまく言葉で伝える力がまだまだ未発達です。成長に応じて培われていきます。そのため、親子のコミュニケーションは非言語的なものが多くなります。そしてその中で、親がよく直面するのが次のような場面です。
• 明らかに危険な行動をする走っている車道に飛び出す、刃物や火に触れようとするなど。
• やってほしくないことを無邪気にやることがある:壁に落書きする、物を壊す、ペットや友達や兄弟に乱暴する、道路に飛び出す。(どんなに学びのためのプロセスであっても人として、「やめてくれー」と感じるのは自然なことではないだろうか。)
・親の主張と子供の主張がぶつかるとき:大人の行動が、子供の主張によって制限されることもあります。
・健康の問題:アレルギーがあるものを食べたがるとき、風邪などの病気のリスクがあるとき、人に危害を加えようとするとき。
リアル子育て実体験を交えて100パーセント実現可能か考える
わたしは、子供が1歳半ば当時、子供がおむつの中から取り出したウンチを取り出してきて、「どうぞ」と目の前にウンチをつかんだグーの手を差し出されたり、ショッピングセンターで私がお手洗いで個室に入っていると(1歳の私の子供は一緒に入る)、鍵を開けられたり…(泣)
親が一人で子供の対応をしている場合、子供を複数人抱えている場合など、親子のおかれた状況によっても子供を制御せざるおえないような状況は多種多様にあります。
もし夫婦共働きで、子供を保育園や幼稚園、学校に連れて行かないと、親は仕事に行くことができないというシーンに子供の「保育園・幼稚園イヤイヤ」「学校行きたくない」という主張が発生したら、出勤時間が決まっている親にとって、どれほど穏やかに子供の心を尊重し、耳を傾ける余裕を持てるでしょうか?
コントロールしたくなる外的要因の存在
日本の夏は暑すぎる。30度~40度近い猛暑日の炎天下の中、外に行きたいと靴を持ってきて手を引っ張って主張し続けたり・・・。子供の要求に答え、汗をだらだら流しながらもニコニコで炎天下の中にある新たな発見に目を輝かせ、絶対に室内へ戻ろうとはしない・・・。親の方がバテてくるし、熱中症のリスクをともないます。そうなると力づくでもベビーカーや抱っこで子供と自分も安全な涼しい空間にもどりたくなる。
買い物へ行けば、ニコニコ買いものかごを持って、いろいろな商品を手に取っては、親が戻しの繰り返し。幼い子供ほど、親が適切に子供を制御する場面に出くわすのである。
車が走る道路へ出ていこうとしたり、立ち入ってはいけないエリアに入ろうとするのは日常茶飯事だ。もちろん、理由を言い聞かせる努力はするが、言い聞かせてもどうしても言葉の理解が未熟な点や、なぜ「ダメ」なのか理解する発達の段階にないので、最終的には子供の主張に理解は示しつつもこのようなシーンとの出会いは親にとっては試練です。
社会は親に親としての責任を追及します。「子供から目を離している隙におきた悲しいニュース」に対して、SNSでは目を離した親、育てた親への責任を追及するしている声をよく目にします。
親が子供をしっかり守らなければという意識を強める一方で、我が子を過剰にコントロールすることへの欲求を強めているようにも感じます。
頑張ったけど100パーセントは無理です。アドラーさん。。。
こんな時にもし、アドラーが目の前に異世界転生でもしてきて、「子どもを操作しようとしない育児が理想的です。」とか言われたら、「アドラーさん。幼い子供と24時間ず~と一緒に年単位で過ごしたことはありますか?少し大きくなっても、危険に飛び込んでいく。頑張ってるけど、100パーセントはむりですよ。」と、言いたくなってしまう。
でも、完璧主義は自己批判を招くこともアドラーは解いています。
異世界転生してきたアドラーは、「あなたはあなた親という役割を果たすために必死なんですね。完璧な親を目指す必要はないんだよ。少しずつでいい。親子でともに成長していける。」と、勇気づけてくれるでしょう。
幼い子供の育児は「危ない!」「やめて!」と思う瞬間の連続。車道に飛び出そうとする、小さな手で包丁を触ろうとする…。そういう時に「コントロールしない育児」を思い出せる心の余裕があるかと言えば、正直なところ「無理!」だしかなり難易度が高い。こうした場面では、親が子供を「コントロールしない」という理想を守る余裕はほとんどありません。
「コントロールしないこと」はあくまで子供の自立性の支援するための目的。
むしろ、親が介入せざるを得ない場面は子供の成長段階・子供の特性によっても異なり、「コントロールしない育児」を追求する親にとって、自己矛盾を感じることもあるのです。
アドラー心理学やポジティブ心理学でいわれていることは理想的ですが、育児書で提唱されている推奨される行動を100パーセント実現させようとしたり、その出来不出来を子育ての中でジャッジしすぎないようにわたし自身は心がけています。
「コントロールしないこと」は、あくまで子供の自立性の支援するための目的です。子供の自立も少しづ。私たちも少しづつ成長していきましょう。
コントロールの種類を分けて考える。子供の成長段階を見極める。
ここで重要なのは、「コントロール」と一口に言っても、その種類や目的はさまざまだということです。「子どもをコントロールしない育児」を額縁通りに受け取り実践しようとすると疲れます。
すべてを「コントロールしてはいけない」と考えるのではなく、状況に応じた柔軟な対応が必要です。
1. 安全を守るためのコントロール
これは、親として避けられないものです。命や健康に関わる場面では、親が主導権を持ち、行動を制限する必要が出てきます。
• 危険な物を隠す、手の届かない場所に置く(それでも知恵の申し子「人間」は関門を潜り抜けようとする)
• 外出時には子どもの行動を見守り、必要に応じて止める
2. 成長を促すためのガイドライン(ルール)
子どもの行動全般をコントロールしないのではなく、基本的なルールや枠組みを示すことは、むしろ子どもの安心感を高める場合があります。
3. 親の欲による過剰なコントロールになっていないか客観観する
親自身の理想の子供像をおしつける、誘導するといった、子どもを不必要に支配しようとする行為は、子どもの自主性を奪うだけでなく、親子関係を悪化させる可能性があります。
完璧を求めず、「ちょうどいいバランス」を探していく。
100%の理想を目指さない:コントロールと自主性のバランスを取る
「コントロールしない育児」という理想を追求しすぎると、親自身が疲弊し、まいってしまう可能性があります。
• 危険な場面では親が介入し、それ以外では子どもの自主性を尊重する。
• 子どもの失敗や小さなトラブルは、「学びの機会」として捉える。
• 親も子どもも「できたこと」「成長したこと」に目を向ける習慣をつける。
「コントロールしない育児」に潜む落とし穴
「アドラー心理学」「コントロールしない育児」を育児に取り入れるとき、こんな場面に直面したことはありませんか?
誉めない、叱らない子育てをアドラー心理学では推奨されますが、「褒めてしまったこと、叱ってしまったことを、親が後悔したり…。時には「もうそれはダメ!」と声を荒げてしまったり…。その瞬間、「あぁ、またダメな親だ」と落ち込むこともあるかもしれません。
でも、ちょっと待ってください。それ、本当に「ダメ」なんでしょうか?
1. 「コントロールしない育児」の誤解
アドラー心理学では、子どもの自主性を尊重し、親が過度に介入せずに育てることが推奨されます。しかし、これを「親は何も手を出さない」と極端に解釈してしまうケースがあります。この結果、親が子どもの行動を適切に導けず、結果的に子どもが混乱することもあります。
2. 親の自己否定感の増加
アドラー心理学に基づく育児では「対等な関係」や「自主性の尊重」が重視されますが、完璧にこれを実践するのは難しく、理想と現実のギャップに苦しむ親が少なくありません。「自主性を尊重できなかった」「感情的になってしまった」といった自己否定感につながることがあります。
3. 子どもの発達段階に合わせた対応が難しい
アドラー心理学は理論的で普遍的な考え方を提示しますが、乳幼児期などの発達段階に応じた具体的な対応が記されているわけではありません。そのため、親が「この場面でどこまで自由を与え、どこで介入すべきか」を判断するのに悩むことが多いです。
4. 他人の視線や周囲の批判
アドラー心理学に基づく育児を実践すると、従来の日本の育児スタイル(叱る、命令するなど)とは異なるため、祖父母や周囲から「甘やかしている」と批判されることがあります。このため、親が自分の育児スタイルを貫く自信を持ちにくいという問題が生じます。
5. 子ども自身の特性とのギャップ
アドラー心理学の方法論が、すべての子どもに効果的であるとは限りません。たとえば、発達障害や感情のコントロールが苦手な子どもの場合、親が自主性を尊重しようとしても、期待通りの結果が得られず親子でストレスを感じることもあります。
解決へのヒント
- 理想と現実を分けて考える:完璧な実践を目指すのではなく、少しずつ取り入れていく。
- 他の理論との組み合わせ:アドラー心理学を基盤にしながら、発達心理学や他の育児理論を取り入れることで、より実践的な対応が可能になります。
- サポートを求める:心理カウンセラーや同じ考え方を持つコミュニティで悩みを共有する。
理想と現実のギャップに悩まなくていい
「コントロールしない育児」という考え方、確かに魅力的ですよね。子どもの自立を促すし、親子の関係もよくなる。だけど、実際の育児では「親が手を出さなきゃいけない場面」だって山ほどあります。
たとえば、危険な状況で子どもを止めるのは当然ですし、日々の生活習慣や社会ルールを教えることも必要です。「コントロールしない」を追求しすぎてしまうと、「これもやっちゃダメなのかな?」と自己矛盾を感じてしまうこともありますよね。
「手段」と「目的」を見失わないで
ここでちょっと立ち止まって考えてみましょう。「コントロールしない育児」の本当の目的は何でしょうか? そう、それは「子どもの自立性を支援すること」です。
でも、気づかないうちに「コントロールしないこと」そのものが目的になってしまうことがあります。たとえば、子どもが親に助けを求めているのに「自分でやりなさい」と言いすぎてしまったり、子どもが困惑しているのに「これが自主性を育むため」と押し付けてしまったり…。そういう時って、親も子どももつらくなるだけですよね。
親自身も「完璧な親」でなくていい
「コントロールしない育児」の最大の敵は、親自身が「子供をコントロールしない完璧で理想的な親でなければならない」と思い込むことです。大切なのは、親もまた成長途中であることを認めること。
• 子どもの成長とともに、自分の対応も変えていけばいい。
• 育児本や他人の意見を参考にしつつ、自分たちに合った方法を見つける。
「コントロールしない育児」に振り回されて疲れてしまう親御さんがいたら「もう十分頑張ってる。100パーセントを目指す必要はない」と自分に言い聞かせてみてください。
育児って、毎日がトライ&エラーの連続ですよね。わたしも子どもと一緒に過ごす中で、「あ、良くない対応だよな~」と思うこともあります。でも、そんなことがあってもいいと思うんです。大事なのは、完璧を求めず、親子で一緒にちょっとずつ前に進むこと。むしろその過程こそが、子どもにとっても「成長のモデル」になるんじゃないかな、と感じています。
おわりに
「コントロールしない育児」は理想的な方向性ですが、それを完全に実現することは難しいのが現実です。親は子供が生まれた瞬間、首も座っていない子供の生命を守るため身の回りのすべての世話をし、少し大きくなったら、あらゆる危険に目をキラキラさせて飛び込もうとする子どもを守るために必死です。
成長段階や性格、家庭環境に合わせて、コントロールと自主性のバランスを取ることが大切です。子供はいずれ大人になります。思考力もコミュニケーション能力も、自分自身を自分自身で守れる力もついてきます。社会で生き抜くための様々な能力を子供自身が培っていけるようサポートすることが、きっと親の役割であるとわたしは感じています。
「コントロールしないことに注力する」のではなく、成長にあわせて「コントロールを手放していく」思考錯誤のプロセスを親子の成長とともに楽しんでいきたいですね。
我が子が成長し、巣立っていく日、私たちは何を思うのでしょうか。私も親として考えずにはいられません。立派に成長し社会にでていく我が子に対する誇らしさを、我が子が手元にいなくなるちょっぴりの寂しさを、子供とともに共有した様々な経験を、無邪気な笑顔を、育児の中でした苦労を、きっと様々な思いが頭をめぐる気がしています。
親として完璧を目指すのではなく、「ちょっとずつ前に進めればいい」と自分に言い聞かせながら、親子で一緒に歩む気持ちを持つこと。その姿勢こそが、子どもにとっての「良い関係のロールモデル」になるのではないでしょうか。
「今日もよくやった」と自分自身に声をかけて、また明日からゆるく、自分にも子供にも優しく、まったり散歩でもしながら始めてみませんか?
わたしも自分自身に言い聞かせています。