エルサの孤独と親のアグナルとイドゥナの選択:背景にある孤独を探る

『アナと雪の女王』アナとエルサの両親~アグナル王とイドゥナ王妃に学ぶ

※この記事は『アナと雪の女王』『アナと雪の女王2』の重大なネタバレを含みます。まだ映画を見ていない人はぜひ見てから読んでください。

『アナと雪の女王』から学ぶ親の葛藤

エルサとアナの成長の物語という一面に加えて、親としての選択が子どもにどのような影響を与えるのかという一面もこの映画にはあると思います。

本記事では、エルサとアナの両親であるアグナル王とイドゥナ王妃の葛藤と選択について考察したいとおもいます。

※この記事で述べていることは、あくまで私の解釈です。

ディズニー映画『アナと雪の女王』で描かれるエルサの力の暴走。その根底には「恐れ」という大きなテーマが存在することがわかります。エルサが持つ氷の魔法は、トロールから「魔法は美しくもあるが、恐れが力を暴走させる」と警告する場面が描かれています。引用:『アナと雪の女王』

しかし、アグナル王とイドゥナ王妃が選んだのは恐れを克服する道ではなく、恐れの感情抑え込み、否定し、感情を抑え込む道。エルサとアナが抱えた孤独と苦しみには、両親の選択も影響を与えたことがうかがえます。彼ら自身もまた恐れや葛藤に苦しんでいた可能性がある背景が『アナと雪の女王2』を見て感じ取ることができました。

アグナル王とイドゥナ王妃が、エルサの感情を認めず感情を抑え込んだ選択をしてしまった理由にまで言及されていることは少ないように感じたので、考察していきたいとおもいます。


アグナル王とイドゥナ王妃の恐れとは?恐れが育む孤独と親の葛藤

映画に描かれる「恐れ」と親の選択

アグナル王の恐れ:王としての責任と葛藤があった?

私には、アグナル王やイドゥナ王妃も恐れを抱えていたように思えます。

特にアグナル王は、エルサの手に手袋をつけさせ、恐れの感情が彼らの育児方針を「恐れ」の感情が支配していたことがうかがえます。

引用:『アナと雪の女王』
エルサが手袋をはめ、“「見えないように」”と力を隠すように指示されるシーンが描かれます。

国を治める王には、完璧であるようにふるまうことが求められます。弱みを簡単に見せることが許されない立場にあるのです。国を背負う人間が弱みを見せるこどで国家の存亡にかかわることは確かにあります。

引用:『アナと雪の女王』
「お前の秘密を暴いて、その富を奪ってやる。」と登場する他国のウェーゼルトン公爵の存在が描かれます。

さらに、アグナル王の行動には、王という立場にある親子の間で起きた思考の連鎖の影響を与えているようにも思います。『アナと雪の女王2』では、アグナルの父であるルナード王がノーサルドラの民というの魔法とともに生きている民の存在を恐れ、ノーサルドラの民を権力と武力の力で抑え込もうとした過去が明らかにされます。この背景から、アグナル王もまた「恐れ」と「支配」を無意識のうちに引き継いでいたと考えることができます。(あくまで私の解釈です。)

引用:『アナと雪の女王2』
「魔法があると自分たちを強いと思い込み国王に反逆するようになるだろう。」というルナード王の言葉。ダムをプレゼントと称して贈り、ノーサルドラの民を弱らせ、ノーサルドラの民の長を暗殺。
アグナル王はノーサルドラの民が父を殺し、贈り物を送ったのに反逆してきたと思っていると語るシーンが描かれます。

イドゥナ王妃の恐れ:アイデンティティの秘密と孤立

イドゥナ王妃のアイデンティティはノーサルドラの民です。しかし、自身がアレンデールと敵対関係になってしまったノーサルドラの民であることを知られることを恐れ秘密にし、アレンデールの民として生き、アレンデールの国民に攻撃されないようにしていたと考えられます。

引用:『アナと雪の女王2』
アグナル王はノーサルドラの民にダムの贈り物を送ったのに反逆してきた。アグナル王はノーサルドラの民が突然攻撃したせいで父親のルナード王を失いその混乱の中突然国王になったと描かれます。

イドゥナ王妃には魔法の力を隠し生きることを強いられているエルサと似たような状況にあったことが想像されるのです。ノーサルドラの民として生きてきた生活から、アレンデールの王妃としての生活は全く違うものであることも予想ができます。(あくまで私の解釈です。)

命を落としたルナード王や国王に仕えて森に閉じ込められた兵士達のことで、アグナル王や城の使用人たち、国民がノーサルドラの民に良い感情をもっていない可能性が高いことは容易に想像ができたでしょう。アレンデールの王妃としての立ち振る舞いを求められ、ノーサルドラの民であることを知られることを「恐れ」、自信のルーツを明かせず完璧な王妃であることを目指していたのかもしれません。(あくまで私の解釈です。)

結果、イドゥナ王妃は自分がノーサルドラの民であることを秘密にし、アグナル王にも長い期間告げることができなかったと考えられます。エルサとアナも母がノーサルドラの民であることは知りませんでした。

引用:『アナと雪の女王2』
アグナル王はノーサルドラの民との紛争の中、当時ノーサルドラの民として生きていたイドゥナ王妃に助けられた過去を持ちます。“「パパを助けてた人大好き。だれなの?」”と語るアナに、アグナル王は“「それがわからないんだ。」”と語
る。イドィナ王妃はアナとエルサが大分大きくなってからルナード王にのみ打ち明けている描写があります。

それぞれが、それぞれが家族を失った孤独を抱え、家族と断絶されたアグナル王とイドゥナ王妃が惹かれあうのは必然のようにも感じられます。

詳しくはこちら: Frozen Wiki: Runeard


恐れと自由:親としての選択

もしアグナル王とイドゥナ王妃が、感情を抑え込むのではなく受け入れる選択をしていたら――エルサは孤独に苦しむことなく、自分の力を受け入れる勇気を持てたかもしれません。この物語は、育児において親が抱える「恐れ」が子どもの自由や成長にどのような影響を及ぼすかを考えさせられます。


完璧を求められる「王族」という立場がそうさせた?

アグナル王もイドィナ王妃も他人に弱みを見せられず、他人を頼れない一面があったのでしょう。他に信頼できる人物をつくりそばに置き子どもに関する悩みを打ち明けることはできませんでした。(あくまで私の解釈です。)

心から信頼し弱みを見せられる人物がいない、国王として完璧で国を統治しなければならない。国を背負うことが運命づけられた人生。このプレッシャーが王自身をも追い詰め、誰かに助言を求めることすら難しい状況を生んでいると考えられます。

この孤立した決断が、エルサをも孤独へと追いやる結果を招いたのではないでしょうか。力を隠し、秘密にしなければならない、感情を抑え込み、次期女王としての振る舞いを身に着けることを要求され、完璧な氷の魔法の制御を求められる生活。それは幼いエルサにとって過酷すぎるものです。

アグナル王とイドゥナ王妃の親としての「恐れ」と孤立が招いたもの

アグナル王とイドゥナ王妃が孤立した中で決断を下したことが、エルサをさらに孤独へと追い込みます。城の門を閉ざし、幼いエルサに自分の感情を抑え込むことを教え、完璧を求められる日々を送ることになりました。

王族に対して進んで意見できる存在はほぼいないでしょう。ましてや子育てとなるとプライベートな要素も強いです。結果、アグナル王とイドゥナ王妃はエルサの氷の魔法の存在を城の召使にも知らせることなく召使も減らしています。

引用:『アナと雪の女王』
城の門が閉ざされ、エルサとアナが互いに隔離されるシーンは、物語全体の象徴的なテーマである「孤独」を如実に表しています。


『アナと雪の女王』が問いかけてくる恐れと自由

アグナル王とイドゥナ王妃の立場や過去を鑑みると、その「恐れ」を取り払うことはとても難しいように思いました。結果として、誰かに大切な我が子を傷つけられるくらいなら、誰かを傷つけるくらいならと、王と王妃は孤立した中で城の門を閉ざす決断を下さなければならなかったのかもしれません。

もし王と王妃が、自分自身の抱える恐れに気づき、子供たちの感情に寄り添うことができていたら。。。「感情を抑え込む」「感情を認めない」ではなく、「感情と向き合い、受け入れる」そして前向きな道を探っていく方法を選んでいたら、エルサもアナも孤独に苦しむことなく、エルサは自分の力を受け入れる勇気を持ち、アナも愛に飢えることもなかのでしょうか?


アグナル王とイドゥナ王妃の葛藤

子供とは言え王子のことを「アグナル」と親しみを込めて呼べる関係性にある人物はいましたが、森が閉ざされたことによって、イドゥナ王妃が属していたコミュニティ(家族)であるノーサルドラの民と、イドゥナ王妃も引き離されてしまいます。幼き日のアグナル王とイドゥナ王妃もまたエルサのように孤立した存在であったとが読み解くことができます。(あくまで私の解釈です。)

エルサの氷の魔法という特殊な力から生じる危険を回避し、エルサとアナを守るため、彼らは城を閉ざし、誰にも頼れず秘密を抱えたままアナとエルサを育る選択をせざる終えなかったのではないでしょうか。(あくまで私の解釈です。)

引用:『アナと雪の女王2』
アナ雪2では、アグナル王のことを「アグナル」と親しげに呼び、アグナルを世話し成長を見届けてきたであろう人物デスティン・マティアス中尉は、森の中に何十年も閉じ込められていたことが判明
する描写があります。

アグナル王とイドゥナ王妃の選択は、親としての孤立している状態がどのような影響を子どもに及ぼすのかを考えさせられる場面です。ここでの孤立とは、信頼を寄せて悩みを打ち明け相談できる相手がいないこと、弱みを見せられる相手がいないことを指します。

アグナル王とイドゥナ王妃に学んだこと

  1. 自分の弱さを認める勇気を持つ
    通じて、親が孤立しないことの大切さについて考えさせられました。
  2. 映画を観て、信頼できる人との関係の重要性を改めて感じました。
    家族、友人、同僚など、親自身が心を許せる相手をもつこと。
  3. 困ったら専門家やコミュニティの力を借りる
    育児に悩んだときには、カウンセラーや育児セミナーなどで専門家に頼ることもできます。

「地域と連携した子育て支援の重要性」 – 内閣府の子育て支援に関する資料(詳細はこちら:リンク

人間が持つ無限の可能性である感情やイマジネーション。親がその可能性をどう扱うかは、子どもの生きやすさ・生きづらさにつながるのかもしれません。

フィクションにタラレバをいうことはいくらでもできますが、こんな風に考えてしまいますーー。

アグナル王とイドゥナ王妃の置かれた状況は、親が抱える悩みにも、通じるものがあると思いました。

親としての成長と試行錯誤:アナとエルサの物語から考える 

親は時に、子どものことに関して恐れる瞬間があると思います。わたしもそうです。我が子が誰かを気づ付けたら?人間関係で傷ついたら?いじめられたら?事件に巻き込まれたら?病気になったら?

エルサに関しては、一度はアナのことを事故とはいえその力で傷つけてしまってもいます。抑え込みたくなる王と王妃の気持ちもとても理解できるのです。

『アナと雪の女王』シリーズは、親の選択が子どもに与える影響について考えるきっかけを与えてくれます。恐れや葛藤をどう乗り越えるかは答えの出ない難しい問題ですが、試行錯誤を通して親子が共に成長していける可能性もあると感じさせられます。

『アナと雪の女王』と『アナと雪の女王2』の感想

でも、子供につらい思いをさせないことばかりに注力する必要も、過去のつらい思いに囚われてばかりいる必要もないのかもしれません。アナもエルサも自分の生い立ちからくる逆境を逞しく乗り越えていくのですから。

私は、『アナと雪の女王』を初めて見たとき、「親の対応まずいよな~。」と私も思いました。ただ、『アナと雪の女王2』を見て作品を読み解いていくと、アグナル王とイドゥナ王妃にもその選択をとってしまった背景の存在にも、親の葛藤の存在にも気づかされました。

この映画を通じて、親が恐れや孤独をどのように抱え、それが子どもに影響を及ぼすのかについて深く考えさせられました。親であることの難しさや、選択の重みについて問いかけられる作品だと思います。特に、エルサとアナの親としてのアグナル王とイドゥナ王妃に、どのようなサポートが必要だったのか、私自身も考えるきっかけをもらいました。

アグナル王とイドゥナ王妃の決断に「親が悪い」決めつけるのではなく、親であるということで生じる葛藤に対する理解を深め、具体的にどういう行動をするのがよかったのか、今後も『アナと雪の女王』を見ながら考えを巡らせて行きたいとおもいます。

『アナと雪の女王』を詳しく知りたい方は、以下を参照してください:

参考文献・情報源

  1. ディズニー映画『アナと雪の女王』
  2. ディズニー映画『アナと雪の女王2』

引用元について

この記事では、ディズニー映画『アナと雪の女王』および『アナと雪の女王2』のストーリーを一部引用しています。本記事の分析および解釈は、著作権法上の「引用」の範囲内で行われており、作品の内容を改変せず正確に伝えています。

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